波佐見町景観計画について考えてみる vol.1波佐見町の概況

2015.02.08 Sunday

0

    平成16年に施行された景観法によって、

    良好な景観形成を目指す自治体は景観行政団体になることにより、

    地域に合った独自の景観形成に関する施策を行うことがなったそうです。

    これを推進するための基本計画がこれから示す内容になるわけです。

    以下、波佐見町ウェブサイトから引用文を含めて、波佐見町の景観について考えてみたいと思います。

    http://www.town.hasami.lg.jp/yakuba/doboku/keikan_keikaku.htm

    まず第一回目として、波佐見町ホームページに掲載されている素案文面を読んでいただきたい。

    ここには、景観計画に関する基礎資料として波佐見町の概要が様々な角度から紹介されています。

    この現実を踏まえて景観について考えようではないかというのがこの計画です。

    行政が出す文章といえば、表題だけで必要か、不必要かをふるいにかけてしまいがちですが、

    様々な街の情報が集まる行政機関だからこそ、普段住民が関心を持たないような、

    町全体の雰囲気をつかむための文面が提示できるのです。

    この文章を書かれた行政マンにも敬意を表し、まずはしっかり読み解いてください。

    不明点がありましたら、コメントいただければ私が窓口になり波佐見町に問い合わせします。
    (以下引用文です。)

    ——————————

    景観計画の目的

    波佐見町は、山林に囲まれた盆地でありながら、やきものの町として

    400年の歴史や、波佐見川(川棚川)※沿いの水田、山間部の棚田や茶畑など、

    のどかな田園風景を有しており、人が自然とともに生き、

    暮らしの中に歴史や文化、窯業や農業による営みが息づいています。

    窯業に関連する文化財や、中尾郷の窯業のまち並み、

    宿郷の酒蔵をはじめとする歴史的建造物など、

    歴史・文化のある資源やまち並みが多く存在し、

    波佐見焼という日常食器の文化を展開する産業の景観が受け継がれています。

    これらの重要な景観を構成する要素を後世に残すためには、

    町民・事業者・行政がその魅力に気づき、協働で守り育てることが必要となります。

    そこで、本計画は、新たな波佐見町における総合的な景観形成を図ることを目的として策定するものとし、

    景観に関する町民の意向・意識を十分に理解し、

    町民・事業者・行政が協働で波佐見町の景観を形成していくための「波佐見町景観条例」を制定します。

    ——————————

    第2章 波佐見町の景観の特性と課題 1.景観とは

    景観とは、山や川、農地といった自然物や建物や道路等、目に見えるものだけではなく、

    その場所やまちから感じられるすべてのものを含めます。

    それらは、そこで人々の生活や営み、歴史や文化といったものの積み重ねで形成されていくものです。

    住宅、公園、道路、それらを取り囲む山林、川、農地等の自然的環境とそのうえで行われる生活の様子など

    すべてが波佐見町の景観を特徴づけるものであり、それらは地域固有の財産として次世代に継承していくべきものです。

    2.波佐見町における景観の現況
    (1)波佐見町の概要
    
    1 波佐見町の地理的特性と地勢的特性
    

    波佐見町は周囲を山林に囲まれた盆地の形状となっており、

    長崎市からは約45km、佐世保市からは約15kmに位置し、長崎県と佐賀県の県境にあります。

    やや東西に長く、南北約7km、東西約10.5km、総面積55.97km2、

    県内自治体では唯一海に接しておらず、内陸型の気候を有しています。

    鉄道はなく、町の北側を西九州自動車道が通過し、波佐見・有田インターチェンジによるアクセスが可能です。

    地質は、第三期層丘陵と石英粗面岩類の山地がいたるところに散在起伏し、

    沖積層平 坦部がその間に入りこみ複雑な地形をなしています。

    虚空蔵山系を南に、東北を神六山系に、西を弘法岳山系の100~500mの山々が起伏しています。

    町の中央を東北から南南西へ流れる波佐見川は、川棚町を経て大村湾に注いでいます。

    これに沿って、折敷瀬、宿、田ノ頭、岳辺田、平野地区が平坦部を形成し、

    やや密集した集落が連なり、水田が耕されています。

    山林は、傾斜地に拓かれた畑地帯から山頂に達して、町全体を囲み森林資源地帯を形成しています。

    2 歴史

    波佐見町は、1592年からの秀吉の朝鮮出兵をきっかけとし、

    大村藩主の大村喜前 が朝鮮の陶工を伴って帰国したことにより、

    やきものの町として 400年の歴史を有しています。

    波佐見の窯業は山間の狭い谷間に集まり、河川の水力を活用し四皿山(皿山、 永尾、三股、中尾)にて営まれてきました。

    また、江戸初期からの新田開発により、波佐見川流域において、大村藩一の広さと美田を誇り、農業が発展してきました。

    明治後半から、少しずつ平野部へ下る窯元が現れ、戦後の日本の高度成長期に入ると、

    波佐見焼の生産は飛躍的に伸び、大量生産のための設備の近代化や、

    輸送手段が自動車 に変わったことなどを理由に、窯元は積極的に平野部へ進出しました。

    3 人口

    本町の人口は、平成2年に 15,728人とピークを迎えた後、

    ゆるやかな減少傾向を示しており、平成 22年の国勢調査では15,227人となっています。

    こうした人口の減少は、転出者が転入者を上回ることや出生数の減少傾向が続いていることに起因しています。

    また、人口の減少傾向が続く一方、世帯数は増加傾向にあるため、

    一世帯あたり人員は減少し続けており、核家族化の進行がうかがえます。

    年齢構造をみると、年少人口(0~14 歳)、生産年齢人口(15~64 歳)は年々減少傾向にありますが、

    老年人口(65 歳以上)は年々増加しており、平成12年には老年人口(65 歳以上)が年少人口(0~14 歳)を上回り、

    少子・高齢化の進行がうかがえます。

    4 産業

    就業人口は、昭和55 年の 8,512 人をピークに、ゆるやかに減少しています。

    産業別就業人口比率をみると、第一次産業、第二次産業は減少傾向にあります。

    第一次産業は大きく減少していましたが、平成17年には一旦増加に転じるものの、平成22年には再び減少しています。

    一方、社会経済情勢の変化に伴って第三次産業の割合は年々増加傾向にあり、

    平成12年に第二次産業を上回りましたが、依然として第二次産業の割合は高いと言えます。

    町の就業人口のうち、約4割が窯業関係に従事しています。また、大企業の進出によって若手労働者が増加しています。

    5 窯業(波佐見焼)

    今から約400年前、波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の3か所に階段状連房式登窯を築き、

    やきものづくりを始めたのが、波佐見焼の始まりです。

    波佐見焼といえば、染付と青磁が中心ですが、初めは施釉陶器を生産しており、

    その後、村内で磁器の原料が発見され、しだいに染付と青磁を中心とする磁器へ移行し、

    大村藩の保護を受け、江戸後期には生産量が日本一になり、波佐見は陶磁器の大生産地に発展しました。

    大村藩は三股に皿山役所を設置し、磁器の生産に力を入れ、製造されるほとんどは日常食器で、

    唐草模様等を筆で描いた「くらわんか碗」と呼ばれた丈夫で壊れにくい、

    厚手で素朴な製品は波佐見焼の代表になりました。

    また、醤油や酒用ボトルとして使用され、「コンプラ瓶」として長崎出島から海外へ輸出されていました。

    波佐見焼は巨大な連房式登窯で生産をし、手頃な価格で全国へ、

    また、海外へと販路を広げ、レンガ造りによる登窯が、谷あいの集落にあちらこちらと築かれました。

    最近まで有田焼として販売されていましたが、現在は“波佐見陶器まつり”を行い、

    東京にて行われている“テーブルウェア・フェスティバル”に毎年出展するなど、

    波佐見焼ブランドを広くPR し、デザイン性の高い日常食器の商品化も行われています。

    6 観光

    本町を訪れる観光客は年々増加しており、

    近年では、ゴールデンウィークに開催される“波佐見陶器まつり”期間中に、30 万人もの観光客が訪れています。

    7 土地利用

    本町の土地利用は、約7割の森林、約2割の農地、約1割の宅地で構成されており、

    周囲を山林に囲まれ、東から南西部に流れる波佐見川の流域に、市街地や集落が形成され、

    平野部には圃場整備が行われた水田が広がっています。

    ——————————

    (以上、波佐見町景観計画素案より引用)


    JUGEMテーマ:田舎暮らし
    1