陶郷 中尾山 -人間が感性を込める食器は食卓に愛情を持ち込んでくれる-

2015.01.11 Sunday

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    波佐見町中尾郷は町並み全体が陶磁器で出来ているかのような土地です。
    それをもっとも象徴しているのが、世界最大級の中尾上り窯跡です。
    中尾山
    現在はそこで陶磁器が作られている訳ではありませんが、街を見下ろす場所に
    鎮座しているその姿は、いつも陶工を見守っているようで安心感を与えてくれます。
    なんでも過去は陶磁器製造の秘密が知られないように山々にあったとか。
    私は、まったく中尾郷の詳しい歴史を知りませんが、そのようには考えていません。
    きっとこの街を囲んでしまったほうが陶磁器を作りやすかったのではないかと感じます。
    それは、焼き物がそうであるように窯という一定の場所に閉じ込められてこそ、
    しっかりとした物が出来上がっていくからです。
    作り手さんがこの場所に住み着かれているのも熟成されたからかもしれません。
     
    中尾山上り釜で焼き物が作られた時期はそれはそれは大変な肉体労働で、
    逃げ出したかった労働者も沢山いたでしょう。

    一度上り釜に足を踏み入れてみると分かります。
    何も荷物を持たなくても斜度が急で、ただ登っていくだけでも重労働です。
    尚更、大量の材料や製品を担いで上り下りするのは並大抵の作業ではありません。
    そんな労働者をこの街全体で囲っておくためにも、閉じた環境が相応しかったのでしょう。
    結果として400年以上に渡ってこの中尾にて陶磁器が作られ続けてきた訳です。

    炭鉱などと異なり、大規模でも小規模でも作成することのできる陶磁器は、
    時代に合わせてその生産規模を調整することによって、
    需要が増える時代にも、需要が著しく減る時代にも耐え抜いてきました。
    波佐見職人
    現代は、陶磁器は残念ながら需要先細りと懸念されていますが、
    私は決してこの中尾から陶磁器生産がなくなることはないと考えています。

    それは、上り釜から見下ろされている、ほどよい集落が今も綺麗に維持されているからです。
    そこに暮らしている人間の意思は、住居のあり方に自然と反映されます。
     
    どれだけ消費レベルが高度になったとしても、衣食住は人間生活の基本です。
    ご飯を食べる必要性が消えない限りは、食器を使う機会は無くなりません。
    食器は必ず新しいものが必要になります。割れれば使えなくなりますから。

    私が波佐見の窯業再生に必要だと感じる視点は、日常の食卓における食器の再興です。
    ただ装う食器から、食べ物を彩る食器をどれだけ波佐見の人々が提案できるか、
    これだけが波佐見の食器を今一度日本中の食卓に並べる術だと感じています。

    どれだけ素敵な食器があったとしても、それを活用する人々がいなければ、
    食器は本来の価値を見出されることなく、その意味は活かされません。

    しかし、どんなにシンプルな食器であっても、
    使い手がその食器の持つ意味を知り、機能性を理解して、
    作った人々の気持ちを思って食べ物を盛り付ける時、本当に美味しい食卓が生まれます。

    核家族が進みライフスタイルも変化する中で、食卓を囲んでご飯を食べる家庭も減りました。
    しかし、今後さらに人口減少が進んでいけば、今一度家族の価値が見直されます。

    なぜかといえば、人間は一人では生きていくことができないからです。
    家族の中心は、そのメンバーが食卓を囲むことにあります。
    その姿を取り戻してくれるのは、波佐見の中尾から生み出される食器であってほしい。
    私はそんな思いを、波佐見で迎えたお正月の食卓で感じたのでした。
    波佐見中尾

    中尾地区では毎年4月第1週土日あたりに「桜陶祭」というイベントが開催されます。
    器販売はもちろん、普段見ることができない窯元めぐりや特製弁当なども企画されます。
    詳しくはこちらの波佐見町ウェブサイトにてご確認ください。
    http://www.town.hasami.lg.jp/yakuba/shoukou/nakao/index.htm
    JUGEMテーマ:食器
    コメント
    一人家族が多くなっても食器は要ります。そこには合理的な食器でなく、情緒あふれる波佐見焼が要ります。これから面白くなります。
    情緒溢れるからこそ。手仕事及びデザインの力が問われますね。
    • by 光
    • 2017/02/19 10:01 PM
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