再チャレンジ出来る土壌、それを当たり前に捉える人々。

2015.01.26 Monday

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    最近、あまりじっくり波佐見の事柄に向かい合っていません。
    資料を漁るわけでもなく、強いて波佐見の人とのコミュニケーションを求めるわけでもありません。
    しかしながら、東京都で暮らしながら、絶えずどこかで波佐見とは何だろう?と考えてはいます。

    昨晩思いついたのですが、波佐見の人々は、失敗に寛容かもしれないと思い至りました。
    どうしてなのでしょうか?
    それは、陶磁器産業という、大規模化が難しい企業群が人々の中心にあったからに他なりません。
    また、さらにその背景には農業や林業の一次産業も決して、
    大規模化できる土地に恵まれなかったことが挙げられます。
    だからこそ、時勢の変化によって、
    生活の糧を失わざるを得なかった人が昔から絶えることがありませんでした。
    現代でも、陶磁器販売業を営んでいて、
    自社の倒産を余儀なくされた人が沢山波佐見で暮らしていらっしゃいます。

    もちろん、他者の信頼に応えることが出来なかったわけで、
    経営者は不甲斐なく、何処かに消えてしまいたい気持ちが避けられないでしょう。
    それでも多くの町の人々は、面と向かって批判する人は少なく、
    次のチャレンジに期待する声が沢山聞こえてくる土地です。

    歴史的に見れば、波佐見に多くの堤を作った深澤儀太夫がその最たるものでしょう。
    彼は、若い頃ライバルを殺めて生まれた土地を追い出されることを余儀なくされました。
    しかし、その反省の念を持って故郷に帰った彼に、
    波佐見の人々は寛大で、再びチャンスを与えようと影に日向に支えました。
    結果として儀太夫は、故郷に恩返しをすべく鯨取りで儲かった大金を地元の土地開発に費やしました。
    http://blog.kurogi.com/?eid=838341

    翻って考えて、先般このブログでも取り上げた東京で引きこもっていた司法書士の倉科さん、
    集落の人と意見が対立して孤立していた松尾さん、
    一時期JRホテルの経営について本音を吐ける相手がおらずに苦しんでいらした町さん、
    東京のシェフから何のバックボーンもなくモンネ・ルギ・ムックを起こすことになった岡田さん、
    ありとあらゆる年代で、地域内の人々、地域外の人々が、
    この波佐見という場所で何かを仕事をする場合には、
    波佐見の人々が再チャレンジの機会を築いていらっしゃるのは、
    それを迎い入れる温かい気持ちを持った人々がいるからこそなのです。

    私は、そうやって再チャレンジを立派に果たした人のことを深く追わずに、
    また新しい落ち込んだ人を励まそうとする波佐見町民の皆さんに触れて、
    その人間的な温かさは決して付け焼き刃ではないことを痛感させられました。

    日本人にとって、結局日々を生きていく支えになるのは、
    その人が誰かに頼りにされる仕事があることなのです。

    給料をもらえるにしろ、もらえないにしろ、
    誰かの為に役立っていると心から思える仕事をしていたら、
    日々にストレスを感じることなく生きていくことができます。
    逆に、どれだけお金をもらったとしても、全く誰からもその価値を認めてもらえなければ、
    やる気がどんどん下がっていくのが、人間の性です。

    おせっかいし過ぎでもなく、世話好きである。
    これが波佐見のよかところ、私はそう思っています。

    日本中で、世話を焼く人が絶滅危惧であるこのご時世、
    私は10年ほど日本各地を放浪しましたが、
    波佐見に敵う居心地の良さを他に見出すことが出来ませんでした。
    だからこそ、私は微力ながらに、
    波佐見の人々をもっとたくさんの日本人に知ってもらいたい、そう思うのです。

     
    JUGEMテーマ:田舎暮らし
    コメント
    どこも直す所ナシ。これで良いのだ!ハナマル。
    深沢さん
    ありがとうございます。
    直すところはあるかもしれません。
    きちんと、ゆみさんのお目通りを願わんば!
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    • 2015/01/26 1:15 PM
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