焼き物の産地 皿山を一人で守った男 福田安兵衛

2017.02.19 Sunday

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    先日、波佐見町が発行している「はさみ100選ガイドブック」を手に入れました。

    全体を見渡して、最も印象に残ったのがこの人物でした。

     

    波佐見は、400年以上に渡って庶民向けの日用食器を作り続けてきました。

    もちろんながら、食器は食べ物があってこそ需要が存在するもの。

     

    景気が異常に悪化して、人々が飢えに悩む時代には食器も売れません。

    その影響は、多くの労働者が焼き物作りに従事していた波佐見全体に及びます。

     

    江戸時代の飢饉時代、昭和の敗戦時など、これまでに何度も、

    波佐見焼が危機に瀕した時代がありましたが、それを維持したのは、

    焼き物の火を絶やしてはいけないと強く願った人のお陰です。

     

    代表的な一人として、福田安兵衛(ふくだやすべえ)氏をご紹介します。

     

     

     

    福田安兵衛氏は、江戸幕末に窯焼きをし、皿山庄屋をしていました。

     

    波佐見のある大村藩に限ったことではなく、

    天保年間(1830〜44年)のはじめ、日本一帯が4度も飢饉に襲われます。

    このため、百姓一揆や打ちこわしが頻発し、世の乱れも全国に及び、

    稗木場皿山も不景気続きで事業中止もやむを得ない状況に陥ります。

    もちろん食糧も取れず収入もないため、餓えに悩む人が多数にのぼります。

     

    大村藩では、打開策として東彼杵町千綿の大野原に、

    この地区の住民を移住させ、開墾させることを決めました。

     

    福田氏は、皿山住民の窮状を訴え上納銀の猶予を願ったのでしたが、

    上記の移住策が実行されてしまうと、

    住民がバラバラになることで、皿山地区の窯の火は消えてしまい、

    たとえ景気が回復しても二度と、

    焼き物がこの地で作れなくなることを危惧しました。

    どうにか、その移住施策が実行されないようにと藩に依頼を繰り返します。

    しかしながら、決まったことを覆すのは容易ではありません。

     

    そこで自らの私財を投げ打って困窮者へ食を与えました。

    その施しは3年間に渡り、福田氏の私財は殆ど使い果たします。

    そして、窯焼きに従事する人間も福田氏だけになりました。

    なおかつ、売れないため、年に一度火入れをするのがやっとでした。

     

    そうすること3年ほど、ようやく景気が回復して、

    焼き物の売れ行きが少しずつ良くなり、他の仲間を誘い、

    連れ焼きを始め、ついに皿山の窯の火が復活するようになりました。

     

    大村藩ではこの義挙を褒め、米15俵を与え、苗字帯刀を許しました。

    以後、景気の波はあっても、窯の火が消えることはありませんでした。

     

    その功績を讃え、平成14年5月に福田善明兄弟によって

    記念碑が皿山大神宮に建立されて、現代の人々にそれを伝えています。

    福田安兵衛門

     

    福田安兵衛の墓は、周囲にある別の福田家の墓よりもひっそりと、

    目立たないように祀られてました。人柄を表しているような気がします。

    福田安兵衛門の墓

     

    参考:

    はさみ100選ガイドブックより(2007年3月刊行版)

    皿山大神宮「福田安兵衛之碑」より

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