波佐見町の勝海舟、深澤清さん

2014.12.09 Tuesday

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    私が深澤清さんと出会ったのは、
    福岡市にあるTAOという名のカフェバーで、深澤さん主宰の勉強会の席でした。
    実は、このTAOは大学の先輩、林田暢明氏がオーナーで、深澤さんと林田さんは十年来のお知り合いだったのです。
    私は、もちろんながら林田さんから、波佐見町に深澤さんという方がいらっしゃるとのことは伺っていましたが、
    特段興味を持っていませんでした。
    しかし、お目にかかることを遡る数ヶ月前、Facebookの山田方谷コミュニティーでの
    とある書き込みを経由して、深澤さんと私はFacebook友達になっていたのでした。


    深澤さんの勉強会がある日に、たまたまTAOに用事のあった私は、
    当日の飛行機で深澤さんのことは全く考えずTAO入りしたのでした。
    勉強会といっても堅苦しいことはなく、ビール片手に自己紹介をしながら、
    歴史上の人物と彼が行った史実について深澤さんと林田さんが解説をしていきます。
    私は、新顔でしたので、自己紹介をしまして、歴史の本を多少読んだことを告げると
    深澤さんが興味を示して下さいました。
    前述の山田方谷の名前を挙げたことも、深澤さんのアンテナに好反応を示したようで、
    すっかり城後くんと名前を覚えて下さいました。
    そんなこんなで、深澤さんと出会い、早速Facebookなどを通してやり取りが始まりました。

    しばらくして、もっと深澤さんと会話がしてみたくなった私は、再び格安航空券を取り、
    福岡空港から高速バスで波佐見有田インターに降り立ちました。
    深澤さんに迎えに来ていただき、お宅にお邪魔しました。
    何故か、初めてお邪魔したのにも関わらず、親戚のおじさん宅のような気がしたのは、
    深澤さんの懐の深さから出てくる人情の持ち味なのでしょう。

    そして、私がここに来た理由を、私が説明するのではなく、深澤さんから説かれる訳です。
    私の人物評解説しながら、城後という私の本質をすでに見抜かれていた深澤さんは、
    「俺は勝海舟だからのお」と豪語され、なんと恐れ多い爺さんなんだと、ど肝を抜かれました。
    その時から、もうすぐ3年が経つ今だに深澤さんが、
    波佐見においでよというお誘いとともに、私に嘆げ掛けてくれるのは、
    「東京ではインテリ被ればかりで腹の底から笑えない。
    波佐見では田ご作を自ら分かっている人に囲まれて腹の底から大爆笑できる」
    という言葉です。

    深澤さんとの波佐見での意気投合以来、私は深澤さんに紹介いただき、
    多くの波佐見町の方とお目通りを乞うことが出来ました。
    もちろん、時間的な制約があって、一瞬でその方の人格全てを理解することは出来ませんが、
    お会いした波佐見の方は、それぞれに温かみがあるのです。
    こればかりは上手く表現できませんが、青々としている稲のようであり、
    実を蓄えたリンゴの木のような方が波佐見には沢山いらっしゃいます。

    昨日挙げた一瀬町長さん自体がそんな波佐見の人を表現する代表なのですが。
    私は、最近波佐見には、深澤さんを訪ねることを口実に、
    波佐見の温かい方を探す旅に訪れているようなところがあります。

    このブログも、そんな波佐見の人々とお知り合いになれるきっかけになれればと思って昨日から始めてみたのでした。
    日本全国、その地域を取り巻く課題は山積しています。
    私が思うに、その課題を改善する術は、一人一人の市民が何を思って生きているかを表明し、
    それを誰かが汲み取っていく他ないと思っています。

    私が、今日本で一番人々の声を汲み取りたいなあと思うのが、
    長崎県東彼杵郡波佐見町なのであります。
    きっかけを作って下さった深澤さんありがとうございます。
    これからも、深澤さんが仏様になるまで、お世話になり続けますので、何卒宜しくお願い致します。

    言い忘れましたが、波佐見町民でも、深澤清さんをご存知ない方も多くいらっしゃるはずです。
    73歳の好々爺は、以下のご自宅にて毎朝ブログを執筆されておりますので、お暇な方はお立ち寄り下さい。
    とう器ハウス
    ただし頻繁に外出されていますので、お目通り出来ない場合には、
    これまた良い人である奥方に御挨拶願います。
    城後さんの知り合いですと告げてもらうと、ミカンをくれるはずです(笑)
     
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